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別の言葉で

by tajima


ほかの人はどうか分からないけれど、長い短いを問わず文章を書ける気がしない。
書くのが苦手なわけではないが、得意な気もしない。
書き上げることができたら、自分にとっては奇跡だ。
じゃあ、このブログはなんだって言われたら、たまたま書けたやつを何となく載せているというだけ。
屍累々。書きかけてやめたものも結構ある。

ジュンパ・ラヒリという作家の謝辞を読んでいたら「どの本も仕上がるまでは到達不可能な目標のように思える」と書いていた。
大作家と俺、共鳴してるじゃん。

その謝辞が載っている本が「別の言葉で」というエッセー集。
ラヒリはロンドン育ちの米国の作家だが、両親はベンガル人。家の外では英語、中ではベンガル語を使わないといけなかった。
英語は主語の次に動詞。ベンガル語は主語が一番先に来て、動詞が最後に来る。
つまり日本語と似た部分がある。この二つの言葉をTPOに応じて使い分ける場面が日常的にあるってしんどいのではないか。

僕は邦訳で読んだけれど、このエッセー集は「別の言葉」、つまりイタリア語で書かれたもの。
さらに複雑な関係に、と思いきや、作家にとってイタリア語は「母」と「継母」、ベンガル語と英語との対立の中で救いになったそうだ。
「イタリア語との関係は亡命の地」だという。

言われてみると、最初にツイッターを始めたときに何かが楽になった気がした。
ツイッターは匿名でやっているし、悪ふざけも政治的な話もOK.
短歌を始めたときにも同じような気持ちになった。
57577の韻律は思ってもいない言葉をつれてくるときがある。

よそ行きの言葉と普段の言葉以外の何か抜け道のようなものを発見したと思った。
言葉と多少密接な仕事をしているせいか、余計に逃げ場所がほしいのかもしれない。
プチ亡命。
別の言葉を使うとき、人はちょっと自由になれる。


tajima
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