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あきらめることについて

by tajima

父にだつてあきらめたものがあつたらう古い花瓶にたんぽぽを挿す

北海道の歌人、山田航さんの一首だ。
きょうお昼ご飯を食べながら、手にした冊子にあった。

亡くなった父に花を手向けているようにも、遠く離れた父を思い出しているようにも感じられる。
「父にだつて」と言うからには、作中主体も何か「あきらめたもの」がある。
親は親ではなく、ひとりの人間だと気付くことは成熟の一つのあり方と言えるだろう。
そして、あきらめることも。

僕の父はどこかの実業団でバレーボールの選手をしていたが、けがを理由に引退。
その後公務員になった。
まあ、バレーボールなんていつまでもできるわけもないのだから、早々に引退できたのは良かったんじゃないの、と思うのは薄情かな。

小さなころから身長が高かった僕に、父はやはりバレーボールをやらせたかったらしい。
あいにく僕は運動神経が鈍くて、その思いに応えることはなく、中高と吹奏楽部に入った。
中学なんて男子部員は僕だけ。
女子耐性も強くなる。

僕も何かあきらめたものがないかといえば、まあある。
あきらめてないものもあるような気がする。
それが何かといわれたら、まあちょっとね。

梅の花で有名な画家が101歳でなくなったとき、ある人が「晩年になっても変わろうとしていた。すごいよね。あの年になっても自分を諦めていないんだよ」と言っていた。

背筋がぴんと伸びる。



tajima
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